陰陽師 醍醐ノ巻 [和書 小説]
夏休み企画、とりあえずアップしてみよう大会。( ̄ω ̄;) 第4弾。 今日はちょっと古いよー。
最近思うコトは・・・あまり長すぎる話もどうかと思う、ということ。 ただ何の変化ものなく、意図も見えなく、ただダラダラ進む物語って・・・どうなの?? と。 読み始めたころは面白いと感じたおりきシリーズも、最近ではあまり面白いと思えなくなってきた。 それは・・・何の変化も見られず、ただ泣かせたいがためのストーリーにしか思えなくなってきたから。 作者がどうしたいのか、という思いが見受けられない。
そこで思った・・・ 普遍的に、いつまでも変わらずに、物語があってほしいと思うものは・・・ 水戸黄門と陰陽師だけだろう、と。 水戸黄門というものは、ある意味エンターテイメントであり、勧善懲悪を同じパターンをもって繰り返され、年がら年中助さんと格さんがとっちめちゃって紋所を出すわけですよ。 あれはあれで確立されたパターンであり、あのパターンがあるからこそ、面白いのであって・・・ただのだらだらではない。
そこで陰陽師シリーズである。 晴明と博雅の縁側でのやり取りから『そういうことになった』といういつもの決め台詞。 これもある意味、水戸黄門的愛すべきパターンであり、だらだらではないのである。 ある定期的なパターンをもって、それでいて毎度違う色を見せる話は、同じパターンでも多彩な物語になっており、いつまでも続いてほしい・・・そんな気にさせられるのである。
実際に読んだのは3月だから、内容自体はすっかり忘れているけれど、それでもいつもの愛すべき二人のやり取りを垣間見ることができたのは、ある意味幸せだと、ワタシは思うのである。
いついつまでも、続いてほしいものである。 (読了日:3月12日、記載日8月16日、後日バックデート)
おススメ度: ☆☆☆☆☆
コメント 0